106件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

松戸市議会 2018-09-04 09月04日-03号

質問事項4の戸定邸についての(2)でございますが、この1901年撮影、最後水戸藩主徳川昭武写真ということで載っておりましたが、この写真というのは、戸定歴史館戸定邸のホームページに載っている1901年に撮影された東屋長椅子写真なんですけれども、この写真徳川昭武写真ではないということがわかりましたので、この部分は訂正させていただいて、1901年に撮影された写真には東屋長椅子が写っているが

栄町議会 2018-06-14 平成30年第2回定例会(第2日 6月14日)

薩摩藩で新たに藩主となった島津斉彬は、論語から引用し、「襲封して三年は、先君の政、変えること叶わじ」と家臣に伝えたということです。私も、斉彬に倣いまして、栄町教育が目指してきた学校教育をより伸張し、現場である学校、教職員、保護者、何より子どもたちが混乱しないようにし、「学校教育信頼」、ひいては「栄町教育信頼」を高めてまいりたいと考えます。  以上で、答弁といたします。

佐倉市議会 2018-06-12 平成30年 6月定例会−06月12日-03号

◆6番(望月圧子) 次に、農作物の輸出に関連してですが、実は佐倉とお茶の関係は深く、佐倉藩中心であった旧藩主廃藩後の生活維持のために生産した佐倉茶について、聞くところによりますと明治時代にはニューヨークへ輸出され、大変好評であったとのことです。その後長く生産が途絶えておりましたが、近年その伝統を受け継いだ佐倉茶が復活し、生産されております。

佐倉市議会 2018-06-11 平成30年 6月定例会-06月11日-02号

当時小見川藩主であった土井利勝佐倉に入って築城して、このほかのことにつきましては当時の江戸幕府記録には記されておりません。そういう状況であります。また、城下町につきましては城を整備すれば必ずそこに住む武士や家族のために商人も必要となりますので、新町などの商人町がつくられ、街道が整備されてきたものと私どもは理解しております。  以上です。 ○副議長(森野正) 小須田稔議員

八千代市議会 2018-02-26 02月26日-02号

福井藩主の第16代松平慶永、これがどういうことを言ったかというと、「我に才略無く我に奇無し。常に衆言を聴きて宜しき所に従ふ」と、こうあるわけですね。だから、大いにいろんな方の意見を聞いて、やればいいわけですよね。ぜひ、この言葉は後で渡しますので、要するに我に才略ないと、才略というか特別なあれがない。

四街道市議会 2017-09-12 09月12日-06号

この場所に江戸時代の一里塚の目安となっていたエノキの大木があり、佐倉藩主江戸への登城の折などに休憩所として立ち寄ったと言われています。このエノキの古木は、昭和55年に市の保存樹木に指定され、多くの市民に親しまれてまいりましたが、4年前の強風により根元から裂け、倒木の危険性が高まったことにより伐採されました。

富津市議会 2017-09-06 平成29年 9月定例会−09月06日-02号

上杉鷹山藩政改革は、米沢藩9代藩主に就任した1767年から始まり、その後、代々の藩主に引き継がれ、数十年の時を費やしましたが、この改革の期間中2度の大飢饉を乗り越え、藩政改革をなし遂げる基礎をつくった人物で、いまさらその偉業を説明するまでもなく、上杉鷹山ならば誰もが財政再建の神様と認めるでしょう。  

勝浦市議会 2017-03-01 平成29年 3月定例会

旅館松の家、上野腰古井吉野酒造の店舗兼主屋であるとか酒蔵、煙突等、 もろもろ10件程度、また、県の無形民俗文化財として鵜原大名行列、県の天然記念物として 高照寺の乳イチョウ鵜原八坂神社自然林、市の有形文化財としては、嶋村俊表、俊正らの 彫刻で有名な勝浦区の三町の祭屋台、波の伊八の彫刻で有名な覚翁寺本堂の欄間、江戸後期の 代表的な建物と言われている興津妙覚寺の山門、江戸初期に、当時の植村藩主

佐倉市議会 2017-02-28 平成29年 2月定例会-02月28日-03号

第3代将軍徳川家光が1651年に亡くなりましたが、このときに佐倉藩15万石の藩主、堀田正盛家光の後を追って殉職、つまり割腹自殺をいたしました。封建時代でしたので、他の藩でも同様なことが起こっています。さらに正盛の長男、佐倉藩13万石藩主、正信は、改易、つまり更迭された後、1680年、第4代将軍、家綱の死の際に後を追ってやはり自害、これは割腹自殺ですが、をしました。

佐倉市議会 2016-06-16 平成28年 6月定例会−06月16日-05号

このような農業の発展のために人を呼び込むということは、江戸時代藩主、堀田氏の築いた向学の風土によるものだというふうに言えます。西洋野菜の栽培を成功した津田仙も、佐倉学農社農学校を設立し、農業教育に尽力されました。これらの歴史的事実は、伝統ある佐倉農業を形づくったものと言えると思います。

習志野市議会 2016-03-08 03月08日-08号

江戸時代初期仙台藩主伊達政宗スペインローマに派遣した使節に関する史料でございます。国宝です。 4件目は、東寺百合文書であります。京都東寺に伝わった古文書で、一つ寺院に伝わった文書としては世界最大規模と考えられております。国宝でございます。 5件目は、舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人本国への引き揚げ記録であります。

習志野市議会 2016-03-08 03月08日-08号

江戸時代初期仙台藩主伊達政宗スペインローマに派遣した使節に関する史料でございます。国宝です。 4件目は、東寺百合文書であります。京都東寺に伝わった古文書で、一つ寺院に伝わった文書としては世界最大規模と考えられております。国宝でございます。 5件目は、舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人本国への引き揚げ記録であります。

佐倉市議会 2016-02-29 平成28年 2月定例会-02月29日-02号

順天堂大学の前身でもあります順天堂は、今から170年ほど前、時の佐倉藩主、堀田正睦公文武奨励策を推進し、藩校の成徳書院を開校し、特に医学では蘭法医学を取り入れ、藩士を長崎へ留学させるとともに、佐藤泰然佐倉に招き、本町に蘭医学塾診療所順天堂を開いたことに端を発して、幕末から明治にかけて全国各地から多くの門人が集まりました。

山武市議会 2015-09-01 平成27年第3回定例会(第1日目) 本文 開催日: 2015-09-01

徳川幕府の大政奉還に伴いまして、明治2年掛川藩藩主太田資美公が松尾城の築城に着手し、工事の完成を見ることはなかったものの、現在も数々の貴重な遺構、遺物が市内に残されております。このような貴重な歴史的資料を公開、保存、活用する松尾分館を開設することにより、文化の高揚、郷土愛を育むとともに、文化財を軸にした積極的な観光誘致を図るため、本条例の一部を改正するものでございます。